工藤勘七は工藤静香の父で画家だった? 津軽(割烹)の場所はどこ?

工藤勘七 画家
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工藤勘七さんは工藤静香さんの実の父親で、現在は他界されています。

工藤静香さんは二科展に入賞するなど、絵がとても上手ですが父親は画家だったのでしょうか?

また、勘七さんは料理人で津軽というお店を経営していた事もあるようです。

工藤勘七は工藤静香の父で画家? 津軽(割烹)の場所はどこ?と題してお送りします。

 

工藤勘七は工藤静香の父で画家?

工藤静香さんの父親は、工藤勘七さんで2005年に亡くなっています。

工藤勘七さんは62歳で他界したのは、虚血性心不全が死因と言われております。

虚血性心不全とは、心臓の筋肉に酸素や栄養を送っている血管が詰まって虚血の状態になる病気です。

工藤静香さんの父親については、画家だったのではという情報がありました。

2008年に開かれた工藤静香展に父親の勘七さんの作品も一緒に展示されました。

当時、勘七さんは亡くなっていたのですが、この個展のサブタイトルは「娘とその父」でした。

工藤静香さんは、父親が画家だった、という影響を受けたのでしょうか?

 

工藤勘七は二科展に入賞

 

静香さんは二科展に20回以上入賞するほどの腕前です。

そして父親の勘七さんも二科展に入賞経験があります。

しかし勘七さんが二科展に入賞したのは、2000年の事で工藤静香さんよりも遅いのです。

一説には娘の静香さんの影響で一緒に絵を描き始めたとも言われています。

勘七さんの本業は料理人だったので、画家として生計を立てていたという事はないでしょうね。

趣味のような感じでしょうか。

 

 

津軽(割烹)の場所はどこ?

工藤勘七 津軽

工藤勘七さんの職業は板前さんで、割烹「津軽」というお店を、開いていました。

このお店は東京都にあったのですが、工藤静香さんの父親は地元である青森県に、愛着があったのでしょうね。

勘七さんは、地元が青森県旧蟹田町(現在の外ヶ浜町)でした。

静香さんも幼少の頃は父親の実家の青森で暮らしていたこともあったそうです。

 

津軽(割烹)は東京都羽村市

津軽(割烹)は現在はないので、場所は特定できません。

場所は家の近くだったと思われ、娘の静香さんが通っていた学校の学区内かその近くだと思われます。

静香さんが通っていたのは東京都羽村市

羽村市立栄小学校

羽村市立第二中学校

です。

JR羽村駅も近いので駅周辺かもしれませんね。

 

 

 

まとめ

工藤勘七さんは工藤静香さんの父親で、2005年に62歳の若さで亡くなっています。

本業は料理人で、東京都羽村市で「津軽」というお店を経営していました。

画家だったという噂もありますが、二科展の入賞が静香さんより遅かったので、娘の影響で絵を描き始めたという説もあります。

本業の傍らで絵を描き始めて、才能が開花したのでしょうか。

以上、工藤勘七は工藤静香の父で画家? 津軽(割烹)の場所はどこ?の記事でした。

 

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