容疑者Xの献身ラストシーンのエンドロールの意味?原作の最後との違いは

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福山雅治さんが主演のガリレオシリーズの映画「容疑者Xの献身」はとても面白いと人気です。

物語の伏線回収など見どころも満載で、ラストまで息もつかせないスピード感で進んでいきます。

映画のラストシーンのエンドロールでは、物語の続きのような描写が描かれているのですがこれは原作にはありません。

エンドロールの映像の意味とは?原作との違いも考察しました。

容疑者Xの献身ラストシーンのエンドロールの意味は?

記事内に少し原作のネタバレを含みますのでご注意ください!

容疑者Xの献身のラストシーンは帝都大学のキャンパスの椅子に湯川学と内海刑事がベンチ座って話している

「花岡靖子が殺害を認めました。でも依然として、石神は事実を認めていません」

「石神は人を愛することを知らないまま生きていたら、罪を犯すことはなかったかもしれない」

「あいつは、それほどまで深く人を愛することが出来たんだ」

ここからエンドロールが流れて、ホームレスがいた隅田川の捜索現場へと画面が変わっていきます。

潜水士などが潜って何かを探している様子

その後に犯行に使われた割れたスノードームが写っていました。

そして「ちょっと来てくださーい!!」で写真を撮っている様子が

これはおそらく遺体の一部が出てきたと思われます。

石神は花岡靖子の元夫・富樫の遺体を隅田川に遺棄し、それを自供したのでしょうか?

容疑者Xの献身ラストシーンのエンドロールの遺体発見は石神の自供か?

富樫の遺体発見は石神の自供によるものなのか?

  • 最後は石神が自供したから、遺体が川から出てきたって事でいいんだよね
  • 何もかもが無に帰したことを悟り、後は淡々と全ての真相を語ったのでは
  • 事情聴取で、「あそこに捨てた。」等と言ったんでしょう
  • 富樫信二の遺体遺棄場所を知ってるのは石神しかしらないからそういうことなんだろうなぁ
  • 石神が自供したのか、警察が自力で発見したのか

遺体発見は石神の自供ではない

内海刑事が最後の場面で言っていた「でも依然として、石神は事実を認めていません」

この事から、石神は自供していないのではないかという考察もあります。

ではなぜ捜索しているのか?

  • 犯行直後の石神の行動から隠せる場所はここしかないという警察の推理
  • 石神が何かを持って移動したという目撃情報があった
  • 警察のローラー作戦で偶然見つかった

容疑者Xの献身の原作の最後との違いは

容疑者Xの献身の原作は同名の東野圭吾さんの小説

この原作に最後の遺体やスノードームの発見の描写はありません。

帝都大学のベンチの上での会話も無いのです。

原作はどのような終わり方をしたのか。説明します。

原作の終わりは、湯川学と石神が会話をして石神が留置所へ向かうシーン。

そこへ花岡靖子が現れ「石神さんと一緒に罰を受けます」と言い、

すべての計画が最後に泡と化してしまった石神の泣き叫ぶシーンです。

湯川は石神の後ろから、彼の両肩に手をのせた

石神の叫びは続いた。魂を吐き出しているように、草彅には見えた

ここで終わっているのです。

最後のシーンは映画の脚本家?プロデューサーが改変したのものですね。

やはり犯罪は最後には罰を受けるものだという設定にしたかったのでしょうか。

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