岡村精二の現在は病気?政治家転身後に公職選挙法違反は本当

岡村精二の現在は病気?政治家転身後に公職選挙法違反は本当

岡村精二の現在は病気?ヨットで太平洋横断後は政治家だった?公職選挙違反?という記事を紹介します。

岡村精二さんが「激レアさんを連れてきた」に出演しました。

手漕ぎボートで太平洋を渡った人として紹介されますが、

岡村さんが本当にすごいのはその帰国後です。

市議会議員や県会議員を務め、コンビニからある雑誌を排除したのです。

岡村精二さんのwikiプロフや経歴、議員の時の功績などを調べました。

 

岡村精二はヨットから政治の世界へ 現在は病気なの?

 

岡村精二さんは、次は政治の世界へと進出します。

1999年:宇部市議会議員に初当選

2003年:山口県議会議員に初当選

2019年まで山口県会議員を務めました。

 

ちなみに議員時代の仕事で一番印象に残ったことは

コンビニからヘアヌードの見られる週刊誌を撤廃させたことだそうです。

なんと、岡村精二さんが発端だったんですね。

 

山口県の議会録にこんな発言が残っています。

 

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岡村精二です。

さて、先日、コンビニ大手のファミリーマートが成人向け図書の販売を取りやめる、

こういう発表をいたしました。

既に、ローソンとセブンイレブンは販売を取りやめることを決定しており、

全てのコンビニから有害図書を排除するという長年取り組んできた公約が

ようやく実現しました。

 

二十年前、コンビニでは、幼児向け図書と成人向けなどの有害図書を

同じ陳列棚で販売をしておりました。

小さな子供を持つ親としては絶対に見逃すことができず、

直接コンビニに行って抗議したことがあります。

議員引退というこの時期に公約を実現できたのは、

議員の皆様や執行部の皆様の御協力のたまものと心から感謝しております。

これからも子供たちの未来を幸せにする応援団でありたいと、心から思っております。

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岡村精二が体調不良?病気?

岡村精二さんは平成29年の宇部市長選挙に、岡村精二県議が立候補を表明しましたが後日体調不良による立候補断念を発表しました。

これにより何か重大な病気では?と話題となっていたようです。

しかしその後に岡村さん本人により政界引退が発表され、理由は

健康上の問題はないが、65歳という年齢もあり区切りをつけた

とコメントしています。

 

現在は、

学校法人「山口精華学園」理事長

NPO法人「森と海の学校」理事長

NPO法人「YMO21」理事長

財団法人「修養団」理事

岡村精二建築設計事務所:所長

などを兼任しています。

 

岡村さんの信念は、

「一度出てしまえば誰も頼れない海というフィールドは、絶好の教育の場でもある」

という実体験からくる本当に重みのある言葉です。

 

岡村精二の公職選挙法違反は本当

 

2022年7月に行われた参議院選挙をめぐり、比例代表に立候補した河村建一氏の陣営で、選挙対策本部長を務めた元県議会議員の岡村精二氏が、公示日前に候補者への投票を呼びかける文書を県内の有権者に送ったとして、公職選挙法違反の疑いで書類送検されました。

岡村精二氏は警察のこれまでの調べで、公示前に投票を呼びかける文書、およそ9500通の文書を送っていたということで、調べに対して容疑を認めているということです。

これは少し残念なニュースですね。

 

 

 

岡村精二のwikiプロフ・経歴

 

名前:岡村 精二(おかむら せいじ)

生年月日:1953年

出身地:山口県宇部市

学歴: 国立宇部工業高等専門学校、山口大学大学院

 

岡村精二さんは山口県宇部市に生まれ、原小学校、厚南中学校卒業し、

国立宇部工業高等専門学校に進学しました。

 

岡村精二さんは中学3年生のときに読んだ「太平洋ひとりぼっち」

(堀江謙一著:日本で初めてヨットによる単独太平洋横断の成功)の影響を受けます。

高校生になると、ジョン万次郎などの漂流記を読み漁るようになり、

太平洋は海流に乗って自然に渡れることを知りました

 

そして高校卒業後に、「手作りヨットによる単独太平洋横断」に挑戦するため、

資金集めと航海技術の取得を目指したそうです。

 

太平洋横断というと、およそ10000kmです。

その途中には様々な危険もあります。

 

サメに襲われる

鯨にぶつかる

嵐に遭遇

クラゲの大群

極度に低い水温

 

そのような困難に打ち勝ち、自作ヨット「シンシア3世号」で横断を成功させました。

 

 

一度帰還しようとして、帆を使ってしまい、正確には全て手漕ぎではなくなってしまいます。

それでも、とんでもないことですね。

 

岡村精二は手漕ぎボート太平洋横断後 現場監督→学習塾開講へ

無事に「手作りヨットによる単独太平洋横断」を成功させた岡村さんは、

職業安定所の紹介で、足立建設㈱入社 し、現場監督として働きます。

 

しかし、戸塚ヨットスクール事件など、青少年に関わる事件が多発し、

居ても立っても居られなくなった岡村さんは、足立建設の社長に相談し、

会社を辞めて教育の現場に踏み込み、学習塾 『至誠学舎おかむら塾』 を開校します。

 

戸塚ヨットスクール事件とは

 

1976年にオリンピックでメダルを獲れるセイラーを育成するためのスクールとして開校。

テレビなどで、不登校の子供などに効果を上げていると紹介されてからは、

不登校や引きこもりの治療にと生徒を募集、以降、死亡、行方不明事件が多発します。

その後に校長や、コーチや元訓練生、関係者が逮捕されることとなりました。

 

 

『至誠学舎おかむら塾』では、ヨット、カヌー、長期クルージングなどの体験教育を指導し、

小中学生を対象とした4泊5日の「子ども自然体験キャンプ」などを実施しています。

その後、「至誠学舎おかむら塾」の卒塾生たちを中心にして

NPO法人「森と海の学校」が設立され、キャンプなどの体験教育活動を行っています。

 

 

 

まとめ

岡村精二さんは、太平洋を手漕ぎボートで横断するというとんでもない事に成功しました。

その後の功績も素晴らしく、教育の現場や山口県の県会議員を長く務めます。

コンビニからヌードが消えたのは岡村精二さんの功績なのです。

これからもまだまだ教育の現場で素晴らしい行動を示してくれることでしょう。

以上、岡村精二のwikiプロフ・経歴・手漕ぎボートで太平洋横断!コンビニから消えたものとはの記事でした。

 

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