赤羽俊太郎の経歴wikiプロフ!おんぶ政務官 の務台俊介議員の秘書も経験

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2024年3月17日に投開票される松本市長選挙。

無所属で初立候補したのが赤羽俊太郎氏

41歳の赤羽俊太郎氏は松本市出身で、国会議員・務台俊介氏の秘書を10年以上務めました。

松本市長を目指す赤羽俊太郎氏のwiki風プロフィールと経歴・学歴・妻や娘の家族構成をまとめました。

赤羽俊太郎の経歴wikiプロフ!結婚して妻と娘1人の3人家族

氏名:赤羽俊太郎(あかはねしゅんたろう)

生年月日:: 1983年3月16日

出身地:長野県松本市

学歴:早稲田大学政治経済学部

赤羽俊太郎氏は早稲田大学卒業後、選挙ボランティアを経て事務所スタッフとして活動

2012年衆議院議員務台俊介氏の公設秘書

2014年国会議員政策担当秘書試験合格

2023年まで衆議院議員務台俊介氏の政策担当秘書・地元担当秘書として、活動

2024年、40歳を機に地元長野県松本市の市長選に立候補

赤羽俊太郎の家族構成は(妻と娘の3人家族)

赤羽俊太郎氏は既婚で、妻と娘の3人家族です。

おそらく妻は一般人なので、年齢や顔画像は公表していません。

娘さんの年齢も不明ですが、Xでは最近ハマっているという習字をポストしています。

この文字から判断すると・・・

小学4年生くらいでしょうか?10歳前後と予想します。

赤羽俊太郎氏の学歴(小中学校・高校大学)

赤羽俊太郎氏は松本市菅野小学校卒業後、菅野中学・松本深志高校に進学。少年野球、バレーボール部に所属する活発な少年でした。

大学は上京し、早稲田大学政治経済学部を卒業しています。

赤羽俊太郎氏は菅野小学校卒業

菅野小学校は,笹賀小学校と神林小学校が統合され,昭和43年に開校しました

赤羽俊太郎氏は小学校時代は野球少年で笹賀ウィングというチームに所属していました。

ポジションはセカンドと話していました。

長野県松本市立菅野小学校

住所:〒399-0033 長野県松本市笹賀3460

赤羽俊太郎氏は菅野中学校卒業

赤羽俊太郎氏は松本市立菅野中学校を卒業しました。

中学時代はバレーボール部に所属、レギュラーではありませんでしたが3年間やり通しました。

長野県松本市立菅野中学校

住所:〒399-0033 長野県松本市笹賀3475

赤羽俊太郎氏の出身高校は松本深志高校

長野県立松本深志高等学校

偏差値:66

有名人:務台俊介(衆議院議員)・降旗康男(映画監督)・若林正人(キャスター)

住所:〒390-0861 長野県松本市蟻ケ崎3丁目8−1

最寄り駅:北アルプス線 北松本駅

赤羽俊太郎氏の出身大学は早稲田大学

早稲田大学政治経済学部

偏差値:67.5

有名人:伊藤忠彦(衆議院議員)やくみつる(漫画家)井上彩香(アナウンサー)

住所:東京都新宿区西早稲田1-6-1

最寄り駅:都電荒川線・早稲田駅

赤羽俊太郎の経歴「おんぶの務台俊介」の秘書も経験

赤羽俊太郎氏は同郷で、高校の先輩である務台俊介議員の秘書を長く務めていました。

務台俊介議員は、赤羽俊太郎氏のことを「同志」と紹介しています。

赤羽俊太郎君は、2008年に私が国政を目指した時からの同志です、翌年の選挙にダブルスコアで落選し、2012年の再挑戦で当選、以降連続4期の代議士生活を経験する間、年齢は離れていますが、苦楽を共にしてきた刎頚の友です。

その彼が、40歳になったことを機に、この度の松本市長選挙に打って出る決意を固め、年末に立候補の正式表明を行いました。私としては、事務所の運営に大きな穴が空くことから私自身の打撃になるとの思いもありましたが、16年付き添ってきた青年が、考え抜いた上で自らの思いを胸にチャレンジしたいという決意に水を差すことはあり得ないと受け止めました。

赤羽君と苦楽を共にした16年の間には、この場で皆様に披歴することを憚るような事例もありました。警察当局や弁護士に対応を依頼する事案も生じました。彼は、それを淡々と処理し、私の政治活動をひたむきに支えてくれました。現職代議士として12年目の活動を経る中で、政策実現の要諦を彼は見極めてきました。その経験を、今度は自身で生まれ故郷の為に捧げてみたいとの思いに駆られたことは想像に難くありません。

務台俊介議員と言えば、政務官時代のおんぶ視察が思い浮かびますね

務台俊介議員のおんぶ視察とは

2016年9月に台風10号の被災地視察で岩手県岩泉町を訪れた務台俊介内閣府政務官兼復興政務官が、随行した政府職員におんぶされて水たまりを渡った姿が報道されました。

務台政務官は長靴を履いていなかったため、職員に背負ってもらい水たまりを渡ったということです。

その後務台政務官は自らのパーティーで「長靴がえらく整備された」「長靴業界はもうかったのでは」などと発言したことの責任を取り、辞表を提出し政務官を辞めています。

この時も赤羽俊太郎氏は秘書だったので、対応に苦労したことでしょう。

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